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最高裁判所大法廷 昭和39年(オ)1175号 判決 1969年11月26日

上告人

武藤六三郎

被上告人

泉尾鋼材株式会社

代理人

阿部甚吉

太田忠義

滝井繁男

川越庸吉

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人岡本治太郎名義の上告理由一および三について。

商法は、株式会社の取締役の第三者に対する責任に関する規定として二六六条ノ三を置き、同条一項前段において、取締役がその職務を行なうについて悪意または重大な過失があつたときは、その取締役は第三者に対してもまた連帯して損害賠償の責に任ずる旨を定めている。もともと、会社と取締役とは委任の関係に立ち、取締役は、会社に対して受任者として善良な管理者の注意義務を負い(商法二五四条三項、民法六四四条)、また忠実義務を負う(商法二五四条ノ二)ものとされているのであるから、取締役は、自己の任務を遂行するに当たり、会社との関係で右義務を遵守しなければならないことはいうまでもないことであるが、第三者との間ではかような関係にあるのではなく、取締役は、右義務に違反して第三者に損害を被らせたとしても、当然に損害賠償の義務を負うものではない。

しかし、法は、株式会社が経済社会において重要な地位を占めていること、しかも株式会社の活動はその機関である取締役の職務執行に依存するものであることを考慮して、第三者保護の立場から、取締役において悪意または重大な過失により右義務に違反し、これによつて第三者に損害を被らせたときは、取締役の任務懈怠の行為と第三者の損害との間に相当の因果関係があるかぎり、会社がこれによつて損害を被つた結果、ひいて第三者に損害を生じた場合であると、直接第三者が損害を被つた場合であるとを問うことなく、当該取締役が直接に第三者に対し損害賠償の責に任ずべきことを規定したのである。

このことは、現行法が、取締役において法令または定款に違反する行為をしたときは第三者に対し損害賠償の責に任ずる旨定めていた旧規定(昭和二五年法律第一六七号による改正前の商法二六六条二項)を改め、右取締役の責任の客観的要件については、会社に対する義務違反があれば足りるものとしてこれを拡張し、主観的要件については、重過失を要するものとするに至つた立法の沿革に徴して明らかであるばかりでなく、発起人の責任に関する商法一九三条および合名会社の清算人の責任に関する同法一三四条ノ二の諸規定と対比しても十分に首肯することができる。

したがつて、以上のことは、取締役がその職務を行なうにつき故意または過失により直接第三者に損害を加えた場合に、一般不法行為の規定によつて、その損害を賠償する義務を負うことを妨げるものではないが、取締役の任務懈怠により損害を受けた第三者としては、その任務懈怠につき取締役の悪意または重大な過失を主張し立証しさえすれば、自己に対する加害につき故意または過失のあることを主張するまでもなく、商法二六六条ノ三の規定により、取締役に対し損害の賠償を求めることができるわけであり、また、同条の規定に基づいて第三者が取締役に対し損害の賠償を求めることができるのは、取締役の第三者への加害に対する故意または過失を前提として会社自体が民法四四条の規定によつて第三者に対し損害の賠償義務を負う場合に限る必要もないわけである。

つぎに、株式会社の代表取締役は、自己のほかに、他の代表取締役が置かれている場合、他の代表取締役は定款および取締役会の決議に基づいて、また、専決事項についてはその意思決定に基づいて、業務の執行に当たるのであつて、定款に別段の定めがないかぎり、自己と他の代表取締役との間に直接指揮監督の関係はない。しかし、もともと、代表取締役は、対外的に会社を代表し、対内的に業務全般の執行を担当する職務権限を有する機関であるから、善良な管理者の注意をもつて会社のため忠実にその職務を執行し、ひろく会社業務の全般にわたつて意を用いるべき義務を負うものであることはいうまでもない。したがつて、少なくとも、代表取締役が、他の代表取締役その他の者に会社業務の一切を任せきりとし、その業務執行に何等意を用いることなく、ついにはそれらの者の不正行為ないし任務懈怠を看過するに至るような場合には、自らもまた悪意または重大な過失により任務を怠つたものと解するのが相当である。

これを本件についてみると、原審は、

一、訴外纐纈佐喜太郎は、訴外菊水工業株式会社の資産状態が相当悪化しており約束手形を振り出しても満期に支払うことができないことを容易に予見することができたにもかかわらず、代表取締役としての注意義務を著しく怠つたため、その支払の可能なことを軽信し、代金支払の方法として右訴外会社代表者としての上告人名義の本件七二万円の約束手形を振り出した上、被上告人をして本件鋼材一六トンを引き渡させ、右約束手形が支払不能となつた結果、被上告人に右金額に相当する損害を被らせたこと

二、右訴外会社の代表取締役である上告人は他の代表取締役である纐纈佐喜太郎の職務執行上の重過失または不正行為を未然に防止すべき義務があるにもかかわらず、著しくこれを怠り、訴外会社の業務一切を纐纈佐喜太郎に任せきりとし、自己の不知の間に同人をして支払不能になるような前示訴外会社代表者上告人名義の本件約束手形を振り出して本件取引をさせ、上告人の代表取締役としての任務の遂行について重大な過失があつたことにより、被上告人に前記損害を被らせるに至つたものであること

を認定し、商法二六六条ノ三第一項前段の規定に基づいて、上告人に損害賠償の責任があるとしているのである。原審の右判断は、さきに説示したところに徴すれば、正当として是認できる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

同二および四について。

原判決の認定によれば、前記のように、上告人が右訴外会社の代表取締役に就任中重大による任務懈怠により被上告人に損害を被らせたというのであるから上告人には右損害を賠償すべき義務があるものというべく、その後、上告人が所論のように取締役を辞任したとしても、右義務に影響を及ぼさないものというべきである。原判決に所論の違法はなく、論旨は採ることができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官田中二郎、同松田二郎、同岩田誠、同松本正雄の反対意見があるほか、裁判官全員の一致で主文のとおり判決する。

裁判官松田二郎の上告理由一についての反対意見は、次のとおりである。

私は、商法二六六条ノ三についての多数意見に対して、反対するものである。

私の解するところによれば、同条第一項は、取締役が対外的の業務執行につき第三者に対し不法行為に因つて損害を与えた場合における規定であつて、次のような性質を有するものである。第一に、そこにいう「悪意又ハ重大ナル過失」は、取締役の対外関係について存することを必要とする。すなわち、それは取締役の対会社関係の任務懈怠において存するものではない。第二に、不法行為についてのこの規定は、民法七〇九条に対して特別規定の関係に立ち、同条の適用を排除するものである。すなわち、この場合、取締役は対外的の業務執行上の不法行為につき、悪意又は重大な過失のある場合に限り、第三者に対してその責に任ずるのであつて、軽過失については責に任ずるものではない。第三に、この規定は、いわゆる「直接損害」についての取締役の責任に関するものであつて、いわゆる「間接損害」に関するものではない。第四に、商法二六六条ノ三第一項は右のように、第三者に対し直接、不法行為によつて損害を与えた取締役の責任に関するものである。そして、それ以外の取締役は、同条第二項が定める要件の存するときに、第三者に対して責に任ずることになるのである。私は、以下において多数意見を批判しつつ、自己の見解をいささか詳論したいと考える。

(一)  多数意見は、商法二六六条ノ三について、次の如く主張する。曰く「もともと会社と取締役とは委任の関係に立ち、取締役は、会社に対して受任者として善良な管理者の注意義務を負い(商法二五四条、民法六四四条)、また、忠実義務を負う(商法二五四条ノ二)ものとされているのであるから、取締役は自己の任務を遂行するに当たり、会社との関係で右義務を遵守しなければならないことはいうまでもないことであるが、第三者との間ではかような関係にあるのではなく、取締役は、右義務に違反して第三者に損害を被らしめたとしても、当然に損害賠償の義務を負うものではない」と。すなわち、多数意見によれば、取締役は、本来第三者に対しいわば無責任の存在なのである。しからば、何故に取締役はその第三者に対して責任を負うのであろうか。この点につき、多数意見はいう。「しかし、法は株式会社が経済社会において重要な地位を占めていること、しかも株式会社の活動は、その機関である取締役の職務執行に依存するものであることを考慮して、第三者保護の立場から、取締役において悪意または重大な過失により右義務に違反し、これによつて第三者に損害を被らせたときは、取締役の任務懈怠の行為と第三者の損害との間に相当の因果関係があるかぎり、会社がこれによつて損害を被つた結果、ひいて第三者に損害を生じた場合であると、直接第三者が損害を被つた場合であるとを問うことなく、当該取締役が直接第三者に対し損害賠償に任ずべきことを規定したのである」と。これが、多数意見の前記法条について採る基本的の立場である。そして、この多数意見は、次のような点にその特徴を有する。第一に、多数意見は、右法条にいう「悪意又は重大なる過失」をもつて、取締役の対会社関係の職務執行における任務懈怠に関するものとするのである。すなわち、多数意見によれば、ここにいう「悪意又は重大なる過失」は、取締役の対外的職務執行における不法行為上の「悪意又は重大なる過失」を意味するのではないのである。従つて、取締役の任務懈怠により損害を受けた第三者としては、「その任務懈怠につき取締役の悪意または重大な過失を主張し立証しさえすれば、自己に対する加害につき故意または過失のあることを主張し立証するまでもない」とされるのである。第二に、多数意見は、取締役が任務懈怠して、悪意または重大なる過失によつて第三者に損害を被らしめたときは、「会社がこれによつて損害を被つた結果、ひいて第三者に損害を生じた場合であると、直接第三者が損害を被つた場合であると問うことなく、当該取締役は直接第三者に対し損害賠償の責に任ずる」とすることである。そして、商法二六六条ノ三を論ずる際に通常用いられる表現に従えば、多数意見は、いわゆる直接損害、すなわち、第三者に直接に加えた損害と、いわゆる間接損害、すなわち、会社に損害を生ぜしめ延いて第三者に被らしめた損害との双方に対して、取締役はその責に任ずるというのである。この点は、従来の学説上、あるいは取締役は直接損害について責任があるものとし、あるいは間接損害について責任があるものとして争われたところであるが、多数意見は、取締役が直接損害と間接損害の双方について責に任ずるものとし、その責任の範囲をきわめて広く認めるものなのである。

更に、多数意見の特徴は、商法二六六条ノ三と民法の不法行為との関係についての主張である。曰く、「取締役がその職務を行なうにつき、故意または過失により直接第三者に損害を加えた場合に、一般不法行為の規定によつて、その損害を賠償する義務を負う」と。すなわち、取締役に対して商法の右法条と民法の不法行為の法条との双方の責任を認めるのであり、責任原因をきわめて広きにわたつて認めるのである。その結果、多数意見によれば、取締役は、職務執行につき「軽過失」によつて直接第三者に損害を加えた場合にも、民法の不法行為の規定によりその責を負うというのである。

思うに、商法二六六条ノ三については学説きわめて乱立し、殆ど帰一するところがなく、比較法的に見ても、取締役の責任は難解のものを多く見るのであるが(たとえばフランス法のactions sociales)多数意見はこの難問に対して、右のような見解を表明しているのである。しかし、わが国のこの点の立法は、沿革上、外国の諸法制を個々的に採用したため、そこには、ドイツ法系のほかスイス債務法や米法、仏法の法系のものも混在していて、問題の解決は甚しく困難になつているのである。

(二)  一体、多数意見が、いかなる根拠に基づいて、取締役に対して右のような重大な責任を負わしめるのであろうか。この根拠こそ、まず問うべきところである。多数意見は、これに関して、次の二つの点からこれを理由づけようとするものと思われる。一は実質的の理由であり、他は沿革的の理由である。

まず、前者について検討したい。この点に関し、多数意見のいうところはきわめて簡単であり、数行に尽きる。曰く、「法は、株式会社が経済社会において重要な地位を占めていること、しかも株式会社の活動はその機関である取締役の職務執行に依存するものであることを考慮して、第三者保護の立場から……規定したのである」と、もとより、現在の資本主義経済のうちにおける株式会社の強大な力に思をいたすとき、その機関である取締役の責任が重大なるべきことは、一応当然であると考えられる。しかし、人的会社において無限責任社員が会社債務につき、無限責任を負担することのあるのは、会社の実質が個人企業に近く、第三者としては無限責任社員の資力を重視するからである。すなわち、この場合は、会社の資産状態に比して無限責任社員の資力がきわめて重い比重をもつものといえよう。しかるに、何が故に物的会社である株式会社において、取締役が第三者に対して多数意見のいうような重大な責任を負担するのであろうか。これは、当然生ずる疑問であろう。けだし、商法は株式会社の資本充実を可及的に図り、これによつて第三者保護を期しているからである。更に、また、特別法である無尽業法によれば、無尽業を営む株式会社において、会社財産を以てその債務を完済すること能わざるに至つたとき、無尽契約に基づく会社債務につき各取締役が連帯してその弁済の責に任ずるのであるが(無尽業法一一条)、このことと対比しても、何が故に一般法たる商法上の株式会社において、取締役が多数意見のいうような重大な責任を負担するのであろうか。このように考えてくるとき、多数意見が株式会社取締役の責任加重の理由として述べるところは、余りにも簡単であり抽象的であつて、われわれのいだく疑問に対して十分の説明を与えないものと思われる。

(1)  思うに、近代における株式会社法発展の跡を見るならば、それは株式会社の大企業化に伴う構造変革に照応して来たことを知り得るのである。わが国においても、明治四四年、昭和一三年、そして昭和二五年の大改正は、いずれもこの経過を示すものである。ことに昭和二五年の大改正は、従来主としてドイツ法系に立つていたわが株式会社法に対し、アメリカ法系を大幅に採用し、新たに授権資本、無額面株式などの制度を輸入したが、これは、株式会社が社員たる株主より独立したところの「企業自体」として存在することをますます明らかならしめたものである。そして、「企業自体」の存在が明らかになればなるほど、第三者に対し「企業自体」が責任を負うこととなるのは当然であり、ここに「企業責任」が重視されることとなる。今や、立法論として、企業に無過失責任すら負わしむべしと主張されているのである。法そのものも、人的会社においては、その対外的信用の基礎を必ずしも会社の資産にのみ依存せしめていないのに対し、株式会社においては、対外的信用の基礎を取締役の資力に置かず、会社自体の資産に依らしめているのである。従つて、今や商法はこれに応じて、株式会社が企業責任を果し得るため、ますます資本の充実を極力図るのである。既に、昭和一三年の改正法は、整理の場合、会社の取締役に対して有する損害賠償請求権につき、取締役の財産の保全処分を行ない得るものとし、また査定という便法を定めたが(商法三八六条一項八・九号)、さらに昭和二五年の改正法は、取締役の会社に対する責任原因を従来に比して一層明確にし(商法二六六条)、株主の代位訴訟の制度(商法二六七条以下)をも新たに採用したのである。そして、これらは、いずれも取締役の責任を強化したものであるが、この改正によつて法の遂げようとするところは、会社資本の充実であり、換言すれば、取締役の責任強化の目指すところも、会社の資本充実のために外ならないのである。そして、その結果として、第三者は間接に利益を享受することとなり、会社資本が充実されると、第三者は直接、取締役個人に責任を追求する必要がなくなるわけである。

思うに、およそ団体は、それが私法上のものであると公法上のものであるとを問わず、その団体の資産的基礎が鞏固であるかぎり、団体そのものが対外的に責任を負えば足り、その構成員または機関構成員をしてその責に任ぜしめる必要はないものといえよう。けだし、それによつて第三者の利益は十分保護され得るからである。国家または公共団体の公務員がその職務を行なうについて、故意または過失によつて違法に他人に損害を加えたとき、国または公共団体が、これを賠償する責に任ずるが(国家賠償法一条)、その職務執行に当つた公務員は、行政機関としての地位においても、個人としても、被害者に対しその責任を負担しないとされるのは(最高裁判所昭和二八年(オ)第六二五号同三〇年四月一九日第三小法廷判決、民集九巻五号五三四頁参照)、このことを示すものといえよう。もとより、株式会社が、国家やその他の公共団体と団体としての性質上、異なるところのあることは敢て多言を要しない。しかし、対第三者の関係においては、そこに団体法としての見地より共通の法理――すなわち、資力ある団体においては、団体が対外的に責に任ずる法理――の発現を看取し得るのである。しかも、そのような団体において、業務執行の機関にある者が内容の煩瑣な職務を迅速且つ多量に行なわなければならない場合、何人と雖も避け難いほどの軽過失についてまで、その者に責に任ぜしめるとしたら、何人もその職に堪えないのである。そして、そこにも亦責任軽減の要求が生じる。このような観点に立つて考察するとき、団体の不法行為についてその機関が個人としても責任を負うか否か、また、その責任の限度如何は、団体によつて解決が異なり得るのであつて、民法上の公益法人が不法行為をした場合、機関個人にも第三者に対して責に任ぜしめることが被害者たる第三者の保護に厚い所以であるとしても、これを根拠として、株式会社が第三者に対し不法行為をした場合、機関たる取締役にもこれと同様の責任を認めるべしとは、必ずしもいい得ないであろう。けだし、商法の予定する株式会社は、私法団体のうちにあつて最も資力が充実しているべきことを前提とし、その取締役は、内容煩瑣な職務を迅速且つ多量に行なうことを前提としているからである。そして、このことは、商法が民法に対して自主性を保有し、ことに商法上の制度たる株式会社がまとまつた一体としての独自の法域を形成しているため、民法の法人の理論に負うところが少ないことからも、容易に理解し得るところである。現に、株式会社の取締役につき、民法の法人の規定の準用されるものは、きわめて僅かなのである(商法二六一条三項による商法七八条二項の準用による民法四四条一項及び五四条参照)。この点に関し、ドイツ法上、民法の法人が不法行為をした場合、その機関個人にも責任が認められているのに拘らず、株式会社が不法行為をした場合、その取締役の不法行為の責任が著しく制限されていることは、注目に値するのである(この点に関し、大審院が「株式会社の取締役が其の職務を行なうに付、他人に損害を加えたときは、取締役個人としても賠償の責に任ずべきものとす」とし(大審院昭和七年五月二七日判決、民集一一巻一一号一〇六九頁)、何等の制限を付さなかつたのは、不当であると考える。もつとも、この判例は現行商法二六六条ノ三制定以前のものであるから、現行商法の下で改めて検討されるべきなのである)

(2)  しかるに、既に述べたように、多数意見は、株式会社の第三者に対する責任をきわめて広範囲に認めようとする。私には、それがわが国の株式会社についての特殊事情に因るものと思われてならないのである。

思うに、わが国の株式会社数は、今や登記簿上八五万以上という巨大の数に達している(昭和四四年一月一日現在)。

そして、これを西独において株式会社数(正確には株式合資会社の数をも含めて)が僅かに数千であるのに比較するとき、その差は正に天地霄壊の差というべく、わが国に株式会社形態の企業のあまりにも多いのに驚くのである。しかも、わが国では右の株式会社のうち、資本金五〇〇〇万円以下のものが約六六万以上存在するのであつて、これらの小企業は、いわば法の本来予定している株式会社以外のものであり、実質的には個人企業に近いものといえよう。従つて、これらの群小会社に対しては、本来大企業を対象としてつくられた株式会社法の規定にそぐわないため、その規定の多くが無視され、蹂躙されがちである。いわゆる見せ金による設立が多く、株券は発行されず、貸借対照表の公告など行なわれず、株主総会は単に議事録上の存在と化しているものも多いのである。しかも、これら群小会社が株式会社としての形態の下に取引関係に立つのであるから、その取引の相手方に対し会社にのみ責に任ぜしめるときは、相手方の利益の著しく害されることはいうまでもない。この現実に直面するとき、情緒的には、群小株式会社の活動について、その取締役にも責任を負わしめることが取引の安全の見地より望まれるのである。多数意見が取締役の対第三者責任を広く且つ重く認めようとするのは、ここにその根拠があるものと思われる。このような見解は、群小株式会社の対外的行為をその取締役個人の行為、すなわち、その個人企業の行為として捉えようとするものといえよう。しかし、このような見解は、小規模・小資本の株式会社に対して妥当するにしても、株式会社法の本来予定する大企業の株式会社の取締役に関して、きわめて不当の結果を生じる。けだし、かかる大企業は、決して取締役の個人企業といえないからである。

しかし、このようにいつても、私は、群小株式会社の横行に対して決して眼を閉じるものではない。これに対しては、すべからく他の法理によつて解決を図るべきなのである。

思うに、法人格の付与は、社会的に存在する団体について、その社会的価値を評価してなされる一種の立法政策といい得、それは団体をして権利主体として表現せしめる点において、法的技術に基づく擬制であるといい得る。そとして、法人格の付与が擬制であるからには、この法人格という「ヴェール」を取去つて実体に迫るこのが可能となるのであり、群小株式会社の乱立するわが国においては、この「ヴェール」を取去ることの必要が痛感される。先に、当裁判所が株式会社についてなした法人格否認判決(最高裁判所昭和四三年(オ)第八七七号同四四年二月二七日第一小法廷判決、民集二三巻二号五一一頁)は、正にその一方法なのである(なお、法人格否認については、最高裁判所昭和三六年(オ)第九四四号同四三年一一月一三日大法廷判決、民集二二巻一二号二四五五頁以下の私の意見参照)。要するに、われわれは、群小株式会社の乱立の現実に直面して、いかにしてこれに対処するかを考えなければならないが、しかし、株式会社法そのものの適用に当つては、それの規整の対象たるべきものは、近代的企業としての株式会社であることを念頭におくことを要し、群小株式会社のため、その規定を歪曲してはならないのである。もつとも、この点より見れば、近時数度に亘つて行なわれた株式会社法の改正は、株式会社の構造改革、その大企業化に対応し得たが、その反面、株式会社制度を大規模のものに限定する措置――たとえば資本の最低額を定めるなど――を採らなかつたため、遣憾ながら現在のごとき群小株式会社の乱立の状態を許すに至つたのである。そして叙上の問題の根本的解決は、立法に俟つところが少なくなく、われわれは将来の立法にこの点を期待したいのである。

(三)  更に、多数意見は、商法二六六条ノ三の沿革を根拠として、その見解の正当性を主張する。曰く、「このことは、現行法が、取締役において法令または定款に違反する行為をしたときは第三者に対し損害賠償の責に任ずる旨定めていた旧規定(昭和二五年法律一六七号による改正前の商法二六六条二項)を改め、右取締役の責任の客観的要件については、会社に対する義務違反があれば足りるものとしてこれを拡張し、主観的要件については、重過失を要するに至つた立法の沿革に徴して明らかである」と。しかし、私は、この点について、煩をいとわず、若干詳論したく思うのである。

(1)  まず、現行商法二六六条ノ三と旧二六六条二項との関係であるが、昭和二五年の改正法に関する解説書中には、右の多数意見のような見解を述べたものが存在する。その解説書によれば、現行商法の右規定は、旧規定における取締役の責任を客観的要件と主観的要件において修正したというのである。しかし、現行商法二六六条ノ三の立法の沿革として、右の解説は、その経過を必ずしも正当に伝えるものとはいい得ないと思われる。

今株式会社の取締役の責任に関する規定の沿革を見るに、ロエスレル草案一七八条は、「株式会社ノ義務ニ就テハ会社財産ノミヲ以テ之ニ充ツヘシ但シ第二百二十八条ノ場合ハ此限ニ在ラス」と規定し、二二八条は、「頭取ノ会社義務ニ対スル責任ハ各株主ノ責任ト異ナルコトナシ但シ申合規則ニ於テ其在任内ニ生シタル義務ニ就キ解任後一年間其財産ヲ以テ連帯責任ヲ有スヘキコトヲ定ムルコトヲ得ヘシ」と規定した。これによつても、取締役の第三者に対する責任が既に限定されていたことに興味を覚えるのである。次いで、明治二三年法律三二号による商法一八八条は「取締役ハ其職分上ノ責任ヲ尽スコト及ヒ定款並ニ会社ノノ決議ヲ遵守スルコトニ付キ会社ニ対シテ自己ニ其責任ヲ負ウ」と規定し、第三者に対する責任を規定していなかつたのである。これに対して、明治三二年の商法一七七条一項は旧法を修正して、「取締役カ法令又ハ定款ニ反スル行為ヲ為シタルトキハ株主総会ノ決議ニ依リタル場合ト雖モ第三者ニ対シテ損害賠償ノ責ヲ免ルルコトヲ得ス」と定め、第三者に対する責任について規定するに至つたが、旧法一八八条の定める取締役の会社に対する責任は当然のこととして、かかる規定を省いたのであつた。しかるに、明治四四年の改正法一七七条は、右の両者を併せて規定し、すなわち、一項において「取締役カ其任務ヲ怠リタルトキハ其取締役ハ会社ニ対シ連帯シテ損害賠償ノ責ニ任ス」と、また、二項において「取締役カ法令又ハ定款ニ反スル行為ヲ為シタルトキハ株主総会ノ決議ニ依リタル場合ト雖モ其取締役ハ第三者ニ対シ連帯シテ損害賠償ノ責ニ任ス」と規定するに至つた。

もつとも、明治三二年の改正当時及び明治四四年の改正当時において、商法の定める取締役の第三者に対する責任の本質が果していかに解されていたかについて、私は多く知り得ないのである。そして、その後においても、この点に関して学説は必ずしも帰一していなかつたが、その間にあつて、松本烝治博士の見解――博士によれば、この第三者に対する責任は債務不履行の責任にあらざると同時に不法行為上の責任にもあらず、法律の特別規定により認められた法律上の特別責任である――が有力であつた。しかし、取締役の責任を以て「特別責任」であるということは、いわば問に答えるに問を以てするに似て、必ずしもこの責任の本質を明らかにするところがなかつたものといえるであろう。これに対して、大審院の判例は、右一七七条二項の取締役の第三者に対する責任をもつて、会社財産欠陥のため会社が債権者に対し完全な弁済をなし得ざるに至つたとき、会社債権者が当該取締役に対し、直接に弁済不足分を請求し得ることを規定したものと解していた(大審院大正一五年一月二〇判決、民集五巻一二七頁、昭和八年二月一四日判決、民集一二巻五号四二三頁)これは、会社の支払い得ない部分について、取締役が補充的責任を負うと解したものである。そして、この判例は、当時のドイツ商法二四二条の規定、すなわち、取締役が特定の列挙した行為をした場合、会社債権者は、会社から弁済を得ることができない限度において、取締役に対する会社の損害賠償請求権を行使し得るとの規定の解釈に影響されていたものと思われる。いわば、わが商法の規定を独法的に解釈していたのである。ただ、わが国の判例は、この補充的責任の性質を明らかにしていないが、ドイツ法では、右のように、会社債権者は、会社が取締役に対して有する賠償請求権を行使するとされているのであり、従つて、取締役の会社債権者に対する補充的責任は、「会社の取締役に対して有する損害賠償請求権の額の範囲内」に限定されていたのである。これは、きわめて重要な点である。そして、ドイツ法では、会社債権者にこのような取締役に対する賠償請求権の行使を認めることによつて、フランス法系の債権者代位権の制度のないことを補い、第三者の被つた間接損害の賠償を図つたものと思われる(この場合、ドイツの一部学説が、第三者は会社に対して給付すべきことを請求すべきものとしているのは、注目に値する)。そして、このように考えてくると、わが国の大審院が、右一七七条二項をもつて、「取締役が会社の機関として職務を執行するに当り、法令又は定款に反したる行為ありたる為め会社に損害を及ぼし、間接に第三者を害したる場合、第三者に特に当該取締役に対する直接の損害賠償請求権を与え、以て第三者の権利保護に遺憾なからしめんとの趣旨の下に設けられたる規定なり」(大審院昭和一五年一二月一八日判決、大審院判決全集八輯一一九頁)と明言したのは、意味深く感ぜられる(傍点は、私の附するところである)。従つて、これらの判例によれば、取締役によれば、取締役の対第三者責任は、補充責任、すなわち、会社の第三者に対する損害賠償義務の存在を前提とし、これに対して補充的のものであり、結局、間接損害、すなわち、会社に損害が生じ、これにより第三者が間接に損害を被つた場合に関するものであつたといえるであろう。換言すれば、右法条は、いわゆる「直接損害」を含んでいなかつたものと解される。そして、昭和一三年の改正に当り、新たに増加された条文との整理の関係上、右一七七条は二六六条となり、すなわち、右一七七条二項は二六六条二項となつたのである。

そして、このような沿革は、多数意見を批判するに当り、きわめて重要な意味をもつのである。何となれば、多数意見は現行商法二六六条ノ三の取締役の責任には「直接損害」と「間接損害」が含まれるものとし、しかも、右法条をこのように解することは、右の条文の立法の沿革に徴して明らかであると主張しているからである。しかし、右に述べたとおり、昭和二五年の改正前の商法二六六条二項に至るまでは、判例上、取締役の第三者に対する責任のうちには直接損害は含まれていなかつたものと思われる。換言すれば、この点において、現行商法二六六条ノ三の取締役の責任の規定と旧二六六条二項の取締役の責任の規定との間には、明白な断絶があるのであつて、現行商法二六六条ノ三の規定は、旧二六六条の規定に沿革上渕源するものとはいい得ないのである。

(2)  これを条文の体裁上から見ても、現行商法の取締役の第三者に対する責任の規定は、その改正前の旧規定(改正前の商法二六六条二項)と著しく形態を異にしている。すなわち、現行商法二六六条ノ三第一項前段は「取締役ガ其ノ職務ヲ行フニ付悪意又ハ重大ナル過失アリタルトキハ其ノ取締役ハ第三者ニ対シテモ亦連帯シテ損害賠償ノ責ニ任ズ」と規定しているのであつて、これは昭和二五年の改正に当つて、発起人の第三者に対する責任の規定、すなわち、「発起人ニ悪意又ハ重大ナル過失アリタルトキハ其ノ発起人ハ第三者ニ対シテ亦連帯シテ損害賠償ノ責ニ任ズ」(商法一九三条二項。これは昭和二五年の改正前の一四二条ノ二第二項に該当する)に倣つたものなのである。そこで、問題となるのは発起人の第三者に対する責任の規定の本質であるが、この点に関し、多数意見は、この発起人の責任の規定をもつて第三者に対する不法行為上の責任を認めたものでないと断定し、これを一つの有力な根拠として、これに倣つたところの現行商法二六六条ノ三をもつて不法行為上の責任の規定でないと主張するものと思われる。しかし、これもまた十分の根拠なき見解と思われる。

思うに、発起人の第三者に対する責任の規定については、昭和二五年の改正法以前においても、既に相当数の学説は、これを不法行為責任の規定であると解していた。しかし、もつとも注目すべきことは、同条制定の沿革なのである。

今、この発起人の第三者に対する責任の規定の沿革を見るに、これは、明治四四年の改正法により、商法一四二条ノ二第二項として新たに設けられたものであるが、この改正に際しては、当時における最新の立法たる一九一一年のスイス債権法が参酌されたのであつて、すなわち、わが商法の右の規定は、スイス債務法六七一条(もつとも、スイス債務法はその後一九三六年に改正されている)を参照し、ほぼその主義に従えるものとされているのである(松本烝治博士、商法改正法評論五五頁(明治四四年)。そして、右スイス債務法の法条は、株式会社の発起人の会社並びに個々の株主や個々の会社債権者に対する損害賠償責任を規定したものであるが、スイス法上、この規定の責任は不法行為の原則によるものとされ、またその責任は連帯責任であると解されていた。もつとも興味深く覚えるのは、この規定をもつて特別規定であるとし、その理由によつて、この規定は不法行為上の責任に関するスイス債務法四一条――それは故意過失の不法行為による賠償責任を定めるもの――に対して優先するものとされ、すなわち、発起人の責任は一般の不法行為の場合より軽減され、発起人は単に「知りて「(Wis-sentlich)行つた場合だけに責に任ずるとされていることである(Bachmann usw., Das Schweizerische Obligationen-recht, 1915 Bb.II, Art. 671 Anm, 2,3u. 11)。(スイス債務法にいうWissenとAbsichtの関係につき、同所のAmm. 5参照)。これは、わが国の法制上の表現をもつてすれば、ほぼ発起人は故意について責任を負うというに該当するであろう。そして、わが国はこのスイス法を故意又は重大なる過失との形態において採用したものと思われる。もつとも、スイス法の右の解釈は、スイス法上の理論に根拠するものであることを看過し得ないし、またこのような外国法の規定を採用したわが国としては、必ずしもその外国においてなされた当該規定の解釈に拘束されるものではないといえよう。しかし、その規定の沿革は、わが国の解釈としても、十分考慮に容れらるべきであろう。私は、わが国の発起人の第三者に対する責任の規定が前述のような経路によつてわが国に採用されたこと、そして、沿革上、それが不法行為の責任に関し、しかも、その責任を軽減したものであることに、多大の興味を覚えるのである。そして、叙上のことにあたかも照応するように思われるのは、大審院の判例である。すなわち、発起人の第三者に対する責任についての判例には、取締役の第三者に対する責任に関する判例と異なり、そこには、発起人の責任を以て「補充責任」としたり、あるいは「間接責任」とするものを見出し難いのである。却つて、判例は「この賠償責任は不法行為上の責任と同様」であるとし、この見地に立つて「被害者に過失ありたるときは、裁判所は損害賠償の額を定めるにつきこれを斟酌し得るもの」(大審院昭和一五年三月三〇日判決、民集一九巻九号六四七頁)としているのであつて、このことはきわめて注目に値する(なお、明治四四年の改正に当り、発起人の第三者に対する規定の新設につき、一八八六年五月二二日のベルギー法三四条が参照されたとされているが、この条文はそこに掲げる一定の事項につき、発起人は、利害関係人に対し連帯してその責に任ずるとしているのである)。そして、このような経過によつて、明治四四年当時、主としてドイツ法系に立つていたわが国の会社法のうちに、ドイツ商法に例のないところのスイス法系の条文が採用されたのであつて、このことに思をいたすことが、わが国において発起人の第三者に対する責任、従つて、現行商法二六六条ノ三の取締役の第三者に対する責任の本質を明らかにするために役立つのである。

このような見地に立つとき、この発起人の第三者に対する責任に規定に倣つたところの現行商法二六六条ノ三第一項前段をば、取締役の第三者に対する不法行為上の責任の規定であり、しかも取締役の責任を悪意又は重大な過失に限定したものと解するのは、むしろ当然とさえ思われる。従つて、同条は、不法行為の一般規定である民法七〇九条に対して特別規定の関係に立ち、これと競合しないのである。そして、このように考えてくると、同条同項後段は、そこに挙げた書類がいずれも第三者に対するものであることに鑑み、その重要な事項についての虚偽の記載をば、法律上当然に、第三者に対する悪意又は重大な過失のある不法行為と同視すべきものとした規定であると解されるのである。

(四)  なお、多数意見は、商法二六六条ノ三第一項の条文の体裁を重視し、これを根拠として、同条にいう「取締役ガ其ノ職務ヲ行フニ付」とは、取締役の対会社関係の職務執行を指すと解そうとするものと思われる。しかし、この点も、多数意見の根拠となり得るものとは思われない。

(1)  商法二六六条ノ三は、「取締役ガ其ノ職務ヲ行フニ付悪意又ハ重大ナル過失アリタルトキ」と規定し、その規定の仕方は民法四四条一項、同法七一五条一項や国家賠償法一条一項と類似しているのである。この点からも、右条文の取締役の責任が対外活動における不法行為上の責任であることが窺われるのである。

(1)  既に述べたように、昭和二五年の改正前における取締役の第三者に対する責任の規定は「取締役ガ……定款ニ違反スル行為ヲ為シタルトキハ株主総会ノ決議ニ依リタル場合ト雖モ其ノ取締役ハ……損害賠償ノ責ニ任ズ」と規定し、すなわち、「定款ニ違反スル行為」といい、また「株主総会ノ決議ニ依リタル場合ト雖モ」といい、その取締役の行為が会社内部の行為であること、すなわち、対会社関係の職務執行に関するものであることを思わせるに足る字句を含んでいたのである。しかるに、現行商法二六六条ノ三は「取締役ガ其ノ職務ヲ行フニ付……損害賠償ノ責ニ任ズ」と規定し、そこには何等当該取締役の行為が会社内部の職務執行であることを思わせるべき字句を見出し得ないのである。

(3)  商法二六六条ノ三には、取締役の責任の要件として「悪意又ハ重大ナル過失」が掲げられている。およそ、悪意又は重大なる過失という用語は、諸種の法域で用いられるものであるが(たとえば、民法四七〇条、六九八条、商法五八一条、手形法一六条二項、四〇条三項、小切手法一三条、二一条、民訴法九八条一項など)、不法行為の場合、軽過失を除外する意味において用いられることの多いことは、いうまでもないところであり、右法条の「悪意又ハ重大ナル過失」をまた、その意味に解するには何等の妨げなく、しかもそれは、前述のスイス債務法よりの沿革にも合成するところなのである。

(4)  更に、多数意見は、おそらく商法二六六条ノ三の「其ノ取締役ハ第三者ニ対シテモ亦連帯シテ損害賠償ノ責ニ任ズ」のうちの「モ亦」を重視し、これをもつてその主張の根拠とするものと思われる。しかし、現に、他の社団法人の機関の第三者に対する責任の規定、たとえば、昭和二五年の商法改正の翌年、これに倣つて新たに追加されたと思われる中小企業等協同組合法三八条ノ二第二項前段が、「理事がその職務を行なうにつき悪意又は重大な過失があつたときは、その理事は、第三者に対し連帯して損害賠償の責に任ずる」と規定し、単に「第三者に対し」とあつて、「第三者に対しても亦」と規定していないことを考え合すべきであろう。(その他、たとえば、農業協同組合法三二条ノ二第三項なども、単に「理事は第三者に対し」と規定している)。そして、中小企業等協同組合法が株式会社法の多くの規定を準用しており(たとえば、同法四二条、五四条、六九条による商法の規定の準用)、両法人の代表機関の対外的責任について、格別に性質を異にする規定を設ける必要がなく、理論上もこれと同一視して可なりと思われるからには、商法二六六条ノ三の取締役の第三者に対する責任について存する「モ亦」は、重視するに値しないといい得よう。畢竟、この点も多数意見の根拠となり得るものとは思われないのである。

(5)  右に述べたところによつて明らかなように、商法二六六条ノ三第一項の規定は、取締役が対外的の職務執行につき第三者に加えたときにおけるその取締役の責任に関するのである。従つて、同条一項により責任を負う取締役とは、対外的の職務執行をした取締役に限られるのである。そして、対外的の当該職務執行に当らなかつた他の取締役については、同条二項に基づいて対外的責任を負担することが生じ得るのである。

(五)  更に進んで、私は、多数意見による商法二六六条ノ三第一項の適用範囲を検討したい。この点から見ても、私は、多数意見を是認し得ないのである。

多数意見は、すでに述べたように、商法二六六条ノ三の取締役の第三者に対する責任のうちに、いわゆる直接損害の外、間接損害も含まれると主張するのである。しかし、果して間接損害、すなわち、取締役の職務執行により直接第三者に損害を及ぼしたのではなく、その執行により株式会社が損害を被り、延いて第三者に損害を及ぼした場合にも、取締役は第三者に対してその責を負うべきであろうか。多数意見は、この結果を肯定するが、それは、理論的根拠を欠くのみでなく、不当な結果をも生ぜしめるものなのである。

(1)  まず、株主について考えるに、右商法の法条の第三者中に、株主が含まれることは、現在わが国の通説の認めるところである。従つて、もし、多数意見によるときは、取締役が対会社関係の職務執行により会社に損害を生じ、延いて株主に損害を生じたとき、すなわち、間接損害のときでも、株主はその取締役に対して損害賠償を請求し得る場合を生じるのである。しかし、今や、株主は取締役の会社に対する責任追及についていわゆる代位訴訟(商法二六七条以下)の権利を有する以上、間接損害を被つた株主は、この代位訴訟によつて取締役に対し会社に損害を賠償すべき旨請求し、もつて会社の資本を充実せしめれば足りるのである。これが株主としては、自己の被つた間接損害を填補する所以なのである。そして、この場合、原告たる株主は、被告たる取締役に対し、会社に給付することを請求すべく、自己に給付すべきことを請求し得ないのである。けだし、株主は会社の資本充実のためにこれを行使するからである。しかるに、もし、株主が間接損害を被つた場合にも、取締役に対して直接自己に損害賠償を請求し得るものとすれば、結局、株主が会社財産を分け取りすることを許すこととなり、会社の資本充実を害することを生じよう。これは、株主による代位訴訟制度の存在理由を失わしめるに至るものである。思えば、昭和二五年の改正法によつて新たに採用されたアメリカ法系の株主代位訴訟制度――それはドイツ法の知らないところである――によつて、ドイツ法系に立つわが株式会社法につき、われわれが従来解決に苦心した「株主の間接損害」の問題は、解決されることになつたのである(なお、この点につき、一九六六年のフランス新会社法二四五条参照)。

(2)  次に、多数意見によれば、取締役の職務執行により会社に損害が生じ、延いて第三者(株主を除く)が損害を被つたとき、すなわち、間接損害が生じたき、その第三者は取締役に対し損害賠償を請求し得ることとなる。しかし、この場合、間接損害を被つた第三者は、会社に対して損害賠償請求権を有する債権者であるから、債権者代位権(民法四二三条)に基づき会社に代位して、会社が当該取締役に対して有する損害賠償請求権を行使し、これによつて、会社資産を充実せしめれば足るのである。そして、この場合も、株主の代位訴訟の場合におけると同様に、第三者は直接自己に給付を求むべきものでなく、会社に対して給付すべきことを請求すべきものなのである。けだし、第三者による債権者代位権の行使は、会社自体の資本充実のためのものである。従つて、このような間接損害を被つた債権者は、会社の行為により直接に損害を被つた場合におけると異なり、代位権の行使によつて直接自己に給付すべきことを請求し得ないとの制約を受けまた、会社の取締役に対する賠償請求権を自己に転付(民訴法六〇一条)し得ないとの制約を受けるのである。この点に関し、現行スイス債務法が「会社が害されたことによつて、株主または債権者に間接に生じたに過ぎない損害については、会社に対してのみ賠償の給付をなすべき」旨定めることは(同法七五五条)意味深く覚えるのである。そして、株主の代位訴訟制度とこの場合における債権者代位権の制度は、ともに会社資本の充実という同一目的に資するものと思われるのである。比較法上、アメリカ法において、会社債権者に対し、株主の代位訴訟を認めようとの主張を見るのは、株主の間接損害と債権者の間接損害との間に、多くの共通性のあることを示唆するものといえよう。

しかるに、もし、叙上の見解に反して、債権者が直接自己に対して間接損害の賠償を求め得るものとすれば、債権者は、各自欲するままに当該取締役に対して損害賠償を請求し、これによつて自己の満足をはかり得ることとなり、その結果、当該取締役の資力は減少するに至り、会社はその取締役に対し損害賠償請求権を行使しても、もはや実効を多く期待し得ないこととなろう。これは、会社資本の充実を害するものである。しかも、多数意見によるときは、当該取締役の行為により間接損害を被つた第三者が多数ある場合、他に先んじて取締役に損害賠償を請求した者のみが満足を得、第三者のうちに著しい不平等を生じる虞も少なくないのである。要するに、間接損害の場合、会社債権者は直接、取締役に対して個別的に損害賠償請求権を行使することは許されない。これは、わが国にはフランス法系の債権者代位権という制度があり、これによつて、会社自体の資本充実を図り得るからである。

叙上の説明によつて明らかのごとく、いわゆる間接損害の場合、株主も、債権者も、ともにその被つた損害につき取締役に対して直接その賠償を求め得ないのである。そうだとすると、間接損害の場合、商法二六六条ノ三を適用する余地は、もはや存在し得ないのであり、同条が適用されるべき範囲は、僅かにいわゆる直接損害の場合にのみ限局されることとなろう。そして、当裁判所の判決の近時のもののうちに、同条を取締役が第三者に対し直接に加えた損害について適用していると解すべきものを見るのは(たとえば、最高裁判所昭和三七年(オ)第一四三号同三八年一〇月四日第二小法廷判決、民集一七巻九号一一七〇頁、昭和三九年(オ)第一〇二六号同四一年四月一五日第二小法廷判決、民集二〇巻四号六六〇頁。なお、昭和三一年(オ)第七四号同三四年七月二四日第二小法廷判決、民集一三巻八号一一五六頁)、同条にいう悪意又は重大なる過失を対第三者関係において存するものとするのであり、私として意味深く覚えるのである。

(3)  従来、商法二六六条ノ三の解釈についての学説は、林立の状態を呈している。しかし、私は叙上の理由により、同条をもつて取締役がその職務執行上の不法行為により第三者(この第三者中には株主をも含む)に直接加えた損害(直接損害)の賠償責任の規定であると解し、しかも、この取締役の責任は、悪意または重大なる過失あるときに限定されるものと解するのである。私は、このように解することがきわめて簡明直截であり、かつ、商法二六六条ノ三の沿革にも合致するものと思うのである。

商法二六六条ノ三を右のように理解するとき、取締役の責任は次のように要約される。

(イ) 取締役は、会社に対し、善管義務(商法二五四条三項、民法六四四条)と忠実義務(商法二五四条ノ二)を負うから、これに違反し会社に損害を生ぜしめたときは、これに対して賠償の責に任ずる。

(ロ) しかし、取締役は、会社の対外的の取引上の債務につき、当然その責に任ずることはない。このことは、会社が支払不能に陥つたときでも同様である。もし、これに反する見解を採るときは、取締役の責任は、恰も既に廃止された株式合資会社の代表社員の責任と異らぬものとなろう。そのような結論の失当なことは明らかである。

(ハ) しかし、取締役は、会社の機関として行動し、不法行為上の悪意または重大な過失によつて、直接第三者に損害を与えたときは、商法二六六条ノ三第一項によつて、その取締役は第三者に対して損害賠償の責に任ずる。たとえば、会社の資産状態が不良で支払停止または支払不能に陥る虞あることを知りながら、これを秘して他より商品を買入れた取締役は、相手方の商品の所有権を悪意で侵害したものとして、相手方に対して損害賠償の責に任ずべきである。会社の取締役は、このような意味において、直接第三者に対し損害賠償の責に任ずべきことが多いと思われる(なお、右の取締役以外の取締役も、同条第二項に規定するところに該当するときは、共同不法行為者としての責を負うのである)。

(a) このような場合、取締役の行為が他面において会社に対する関係で任務懈怠となるときは、その取締役は、会社に対しても任務懈怠による損害賠償義務を負い、すなわち、二重の責任を負うことを生じ得る。このような二重責任は取締役が第三者にいわゆる「直接損害」を加えた場合に生じるところなのである。

(b) 右の場合、直接損害を受けた第三者は、その取締役に対して損害賠償請求権を有するとともに、会社に対しても損害賠償請求権を有する。けだし、その取締役は会社の機関としてこれを行つたのであり、それは会社としての不法行為でもあるからである。そして、この場合、会社と当該取締役は不真正連帯債務の関係に立つ。

(c) 右の場合、第三者は、会社の行為により損害を被つたのであるから、間接損害を被つたときと異なり、自己の会社に対する損害賠償請求権を確保するため、会社に代位して、会社の取締役に対する損害賠償請求権を行使し、直接これに自己に給付すべきことを請求し得、また、自己に転付(民訴法六〇一条)することが認められる。

(六)  叙上に述べたところは、株式会社自体の「企業責任」を強調することと、相表裏する。けだし、株式会社に「企業責任」を認めればこそ、その機関たる取締役の対外的業務執行上の責任の軽減が可能だからである。もつとも、このことに関しては、次の点を明らかにすることを要するものと考える。

(1)  まづ、民法の不法行為の規定との関係が問題となる。けだし、民法七一五条は企業責任についての実定法上の手がかりとして機能しているものの、そこではなお使用者の免責事由が規定されているからであり、また、同法七〇九条により、被用者自身は、事業の執行についての軽過失についてさえ、第三者に対し損害賠償の責を免れ得ないからである。そして、おそらく、私の見解に反対するものは、これらを一つの根拠として、私の見解をば「取締役に対し特別の恩恵を施すもの」として非難するであろう。

しかし、今や、民法上の学説にあつても、立法論として企業の無過失責任を認むべきであるとの主張を見、民法七一五条に関しては、被用者の責任を軽減して、その責任を国家賠償法における公務員の責任のごとく改むべきであるとの主張を見るのである。このような見解に立つときは、取締役の機関としての不法行為上の責任を悪意重過失の場合にのみ限定すべきであるとの卑見は、容易に理解され得るであろう。そして、私法の発展の跡を大観するとき、いわゆる「民法の商化」が行われ、商法の領域において最初に認められた理論ないし法規が、やがて民法のうちに採用されて民法の発展に寄与しこれを指導して来たことに思をいたすとき、取締役の責任軽減を認めた商法二六六条ノ三は、企業責任の原理を法律上明定した先駆的の規定として民法に影響すべきであろう。そして、私はやがて民法七一五条が「企業責任」の理念の下に改めらるる日の来ることを期待したいのである。そして、少なくとも、この理念の下に同条の解釈が、今後新生面を拓くことが望まれるのである。このように考えるとき、現行民法七一五条を根拠として卑見に反対するのは、民法の商化を無視するばかりでなく、これに逆行して、不当にも「商法の民法化」を主張するものとさえ思われるのである。

そして、この点につき、民法七一五条二項にいう「使用者ニ代ハリテ事業ヲ監督スル者」の意義について、嘗て、判例は「使用者たる株式会社の取締役にして事業を監督する者をも包含する」(大審院昭和三年七月九日判決、民集七巻六〇九頁)としたのに対し、近時における当裁判所の判例が「現実に被用者の選任、監督を担当していたときにかぎり」同条同項の責任を負うとしたのは(最高裁判所昭和三九年(オ)第三六八号同四二年五月三〇日第三小法廷判決、民集二一巻四号九六一頁)(傍点は私の附するところである)、取締役の責任を明確にし、その限定の傾向を示すものと解され、意味深く覚えるのである。

(2)  なお、私が取締役の不法行為上の責任が軽減されるというのは、取締役がその機関たる地位において職務執行するについての不法行為のみに関する。従つて、取締役が機関たる地位に関係なく、個人として第三者に対し不法行為をしたとき、その取締役が軽過失についても責に任ずることは、当然である。また取締役が職務執行行為につき第三者に損害を加えたとき、たとえそれが軽過失であるにせよ、会社自身がその軽過失によつて生じた損害につき賠償の責に任ずることも当然である。

(七)  今、本件について見るに、原審の確定したところによれば、上告人は訴外菊水工業株式会社の代表取締役であり、且つ社長であるところ、右会社の代表取締役である纐纈佐喜太郎に対し会社業務一切を任せ切り、社長印及び自己の氏名のゴム印を用いて菊水工業株式会社社々長たる自己の名において手形、小切手を振出す権限をも委ねていたのであつて、訴外纐纈は、右会社の資産状態が悪化していたため代金の支払のできないことを容易に予見し得たのに拘らず、被上告会社より買入れた鋼材の代金支払のため、上告人より使用を許され預つていた上告人のゴム印・社長印を使用して本件約束手形を作成し、これを被上告会社に交付したが、その支払は不能になり、被上告会社に右手形金七二万円に相当する損害を被らしめたというのである。しかして、右の如く上告人が纐纈に会社の事務一切を任せて顧みなかつたことは、会社に対する関係において著しい任務懈怠であることは明らかである。しかし、叙上論じたところに照せば、上告人が、法人格否認の法理によつて、本件手形上の責に任ずることのあるは格別、原審認定の事実関係のみでは、未だ上告人自身が被上告会社に対する関係において商法二六六条ノ三第一項、または第二項の責任を負うものと速断し難いところがあるのである。原審はすべからく、上告人の行為が被上告会社に対して同条第一項の定める不法行為上の悪意又は重大な過失に該当したか否か、または同条第二項に該当したか否かの点について、審理すべきであつたのである。原審はこの点において審理不尽の誹を免れ得ない。さらば、これらの点について更に審理せしめるため、原判決を破棄してこれを原審に差戻すのを相当と考える。

裁判官田中二郎は、裁判官松田二郎の右反対意見に同調する。

裁判官岩田誠の上告理由一についての反対意見は、次のとおりである。

私は、商法二六六条ノ三、一項の規定は、その前段も後段も一体として、取締役の特殊の不法行為責任を規定したもので、その「悪意又ハ重大ナル過失」というのも、第三者に対する関係において存することを要し、多数意見のいうように会社に対する関係において存すれば足るものとは考えない。したがつて、取締役は、会社との間では委任の関係に立つからとの理由で、本条を取締役の会社に対する任務違反の責任を定めたものとする考えには賛成できない。そして本条において取締役が損害賠償の責に任ずるのは、第三者に対して与えたいわゆる直接損害に限るのであつて、取締役の任務違反の結果会社に対し損害が発生したため、会社財産または信用の失墜を来たし、ひいて会社に対し債権を有する第三者または、会社の株主等が受けるいわゆる間接損害にはおよばないものと解する。

一、昭和二五年法律第一六七号による改正前の商法二六六条(以下旧二六六条という。)は、その一項において、「取締役ガ其ノ任務ヲ怠リタルトキハ其ノ取締役ハ会社ニ対シ連帯シテ損害賠償ノ責ニ任ズ」と規定し、二項において「取締役ガ法令又ハ定款ニ違反スル行為ヲ為シタルトキハ株主総会ノ決議ニ依リタル場合ト雖モ其ノ取締役ハ第三者ニ対シ連帯シテ損害賠償ノ責ニ任ズ」と規定していた。この旧二六六条一項の規定は、会社と取締役とは委任の関係に立つことを前提として、取締役がその委任関係上の任務に違反したときは、連帯して会社に対し、損害賠償の義務あることを定めたものであり、その二項は、本来取締役は会社以外の第三者に対しては何ら法律関係はないのであるが取締役の会社に対する任務違反が、法令または定款に違反する行為をなすが如き重大なものの時は、特に第三者を保護するため、取締役は第三者に対して、連帯して損害賠償の責に任ずる旨定めたものであり、この二項に定むる取締役の責任は不法行為によるものではなく、むしろ法律が特に定めた責任と解する余地があり、そのように解すると、ここにいう第三者の損害とはいわゆる間接損害に限ると解するのを正当と考える。

しかし商法は前記昭和二五年法律第一六七号により広汎に亘り重要な改正がなされたのであり、現行商法二六六条ノ三も右改正により追加新設されたものである。そして右改正後の商法の各条項を見るに、立法者の意思如何にかかわらず、私は、旧二六六条二項の規定が改正されて現二六六条ノ三、一項の規定になつたのではないと解する。旧二六六条一項の規定は現行商法二五四条三項、二五四条ノ二、二六六条一項(ことに同項五号、取締役の現行商法二五四条三項違反、同二五四条ノ二違反の行為は当然同号の法令に違反する行為にあたる。)等の各規定のなかに包摂され、旧二六六条二項の規定は、不要として廃止されたものと解される。何となれば、旧二六六条二項の規定は、特に法律が取締役に負わしめた責任であるとしても、本来契約関係もなく、不法行為責任もない取締役個人と会社に対する債権者のような第三者との間に損害賠償責任が生ずるというようなことは異例のことであり、しかも右第三者の損害をいわゆる間接損害に限るとすれば、会社に対する債権者のような第三者は、会社が旧二六六条一項または現行二五四条ノ二、二六六条一項の規定により取締役に対し有する損害賠償請求権を債権者代位権により代位行使することによつて、その目的は達し得られるし、株主は現行二六七条の代表訴訟によつて、取締役の会社に対する任務違反による責任を追求することによりその目的を達することができるからである。

二、したがつて私は現行二六六条ノ三の規定は前記改正法により新たに設けられた規定であつて、その第一項前段の文言自体からこれを取締役の第三者に対する悪意または重大な過失による不法行為責任を定めたものと解する。そしてこの前段の文言自体を見てもこれを多数意見の如く取締役の会社に対する任務違反を規定したものと解しなければならない理由を発見できない。次に同条一項後段に規定する事項は、いずれも取締役が会社と取引関係に入らうとする人または会社の株式を取得して株主となろうとする者を欺罔し、錯誤に陥れるような文書を作成することで、このことは、それ自体取締役に悪意または重過失のあることを示すものであるから、右後段も、また取締役の第三者若くは株主となろうとする者に対する不法行為責任を規定したものと解すべきこと明らかである。

三、次に多数意見は、現行二六六条ノ三、一項の悪意または重大な過失は取締役の会社に対する任務懈怠について存するを要し、「取締役の任務懈怠の行為と第三者の損害との間に相当の因果関係があるかぎり、会社がこれによつて損害を被つた結果、ひいて第三者に損害を生じた場合であると、直接第三者が損害を被つた場合であるとを問うことなく、当該取締役が直接に第三者に対し損害賠償の責に任ずべきことを規定したのである。このことは、現行法が取締役において法令または定款に違反する行為をしたときは第三者に対し損害賠償の責に任ずる旨定めていた旧規定(昭和二五年法律第一六七号による改正前の商法二六六条二項)を改め、右取締役の責任の客観的要件については、会社に対する義務違反があれば足りるものとしてこれを拡張し、主観的要件については、重過失を要するものとするに至つた立法の沿革に徴して明らかである……したがつて、以上のことは、取締役がその職務を行なうにつき故意または過失により直接第三者に損害を加えた場合に、一般不法行為の規定によつて、その損害を賠償する義務を負うことを妨げるものではないが、取締役の任務懈怠により損害を受けた第三者としては、その任務懈怠につき取締役の悪意または重大な過失を主張し立証しさえすれば、自己に対する加害につき故意または過失のあることを主張し立証するまでもなく、商法二六六条ノ三の規定により、取締役に対し損害の賠償を求めることができるわけであり」と判示して、現行二六六条ノ三の規定は、旧二五五条二項と同じく取締役の不法行為責任を規定したものではなく、第三者保護のため取締役の会社に対する任務懈怠により第三者に生じた損害は、直接損害たると間接損害たるとを問わず、任務懈怠について取締役の悪意、または重過失あることを要件として法律上特に取締役に責任を負わしめたものであり、右悪意、重過失は第三者に対する関係では必要なく、会社に対する任務懈怠について存在すれば足りるとするのである。右第三者の損害をいわゆる間接損害に限るとすれば第三者は債権者代位権を行使して目的を達し得、株主は代表訴訟によつてその目的を達し得るのであるが(間接損害ならば会社が取締役より損害賠償を得て会社の財産、信用が旧に復すれば、第三者または株主は何ら損害なきに帰する。)取締役が任務懈怠について悪意、重過失あるときは、第三者が債権者代位権等を行使し株主が代表訴訟をする等の繁雑を避けて直接取締役に損害賠償請求をさせることも或は意義あることといえるかもしれない。しかし直接損害については、取締役には第三者の損害発生については何ら悪意、重過失もなく、ただ方向違いの会社に対する関係で任務違反に悪意重過失があつたというだけで、取締役はその第三者に生じた直接損害をも賠償する責任があるとすることはおかしい。(一)取締役の会社に対する悪意または重過失による任務懈怠が、同時に第三者の直接損害に対しても悪意または重過失ある場合にあたるとき、または(二)取締役の会社に対する悪意または重過失による任務懈怠が、同時に第三者の直接損害に対しても過失ある場合にあたるときには多数意見によつて、第三者の直接損害について、取締役に損害賠償責任ありとすることは許されるかもしれない。何となれば右二つの場合には、取締役に会社に対する任務違反と同時に第三者に対する不法行為とが競合して存在しているからである。しかし(三)取締役は会社に対し悪意または重過失による任務違反はあるが、第三者の直接損害発生に対しては故意も過失も存しないという場合についても、多数意見は、その任務違反と第三者の直接損害との間に相当因果関係さえあれ、取締役にその第三者の損害賠償の責任を肯定するものである。してみるとこの(三)の場合は、会社の一機関に過ぎない取締役個人に第三者に対する無過失損害賠償責任を認めることになるのである。企業主体に対し無過失損害賠償責任を認めようとすることは、社会生活の発達複雑化に伴い益々肯定されるところであるが、企業主体の一機関に過ぎない個人に無過失責任を認めることは、未だ容易に是認できない。

四、更に、当裁判所の判例を見るに、昭和三一年(オ)第七四号同三四年七月二四日言渡当裁判所第二小法廷判決(民集一三巻八号一一五六頁)は、現行商法二六六条ノ三と類似の規定である中小企業等協同組合法三八条の二、二項の規定に基づいて、株式会社の取締役に相当する協同組合の理事に対し、その職務を行なうにつき重大な過失があつたとして第三者に生じた直接損害の賠償を命じているが、右事案において理事の重大な過失は、第三者の直接損害の発生について存したと認定しているものと解されている。また昭和三七年(オ)第一四三号同三八年一〇月四日言渡同第二小法廷判決(民集一七巻九号一一七〇頁)は、被告(被控訴人、上告人)は、訴外株式会社の取締役副社長であつたもので、原告(控訴人、被上告人)から他に流用を許さず訴外会社の発行する新株式の申込証拠金にのみ充当する趣旨で五〇万円の寄託を受けたが、その後右会社は新株式の発行をしなかつたのみならず、被告の出席した同会社の役員会で右五〇万円を同会社の経常費に流用する旨議決し、被告において右金員全額を議決どおり経常費に流用して了つた。右訴外会社は無資力で右金員を原告に返済できなくなつたので、原告は、訴外会社に対し金員寄託契約を解除してその返還を求めるとともに、被告に対し、被告は原告から前記の趣旨で直接現金を受取つたもので、これを右のように経常費に流用しだたのから、取締役副社長としてその職務を執行するにあたり、悪意または重大な過失により原告に五〇万円の損害を被らしめたので商法二六六条ノ三の規定により五〇万円の損害賠償を求める。仮りに右主張が理由なしとすれば、被告に対し、民法七〇九条により五〇万円の損害賠償を請求すると主張した。一審においては原告は、訴外会社に対する請求のみ容認されたが、被告に対する請求は棄却されたので、控訴したところ(訴外会社は一審で確定)、二審判決は、一審判決を取消し、原告主張どおりの事実を認定してその商法二六六条ノ三の請求を容認した事案に対して右控訴審判決を是認した上告判決である。そして上告審で問題となつたのは、被告の行為と原告に生じた損害との間に因果関係があるかとの点であつたが、右第二小法廷の判決も、第三者の直接損害に関するもので取締役の悪意または重過失も第三者の損害に対する関係において存したものと判示しているものと解されている。

以上二つの最高裁判決は、取締役がその職務を行うにつき悪意または重大な過失ありとしているのは第三者に対する関係においてであり、仮りに第三者に対し悪意、重過失あるときは、当然に会社に対する関係においても悪意、重過失による任務懈怠となると解しているとしても、少なくとも右各判決は、第三者に対する関係においても悪意、重過失あるが故に第三者に対する直接損害について取締役に賠償責任を認めているのである。

してみれば、多数意見は、悪意または重大な過失は、会社に対する任務懈怠の点について存すれば足りるとする点で、少なくとも前記第二小法廷の判決と相反するものであり、多数意見のように悪意、重過失は会社に対する関係において存すれば足りるとすると、理論上は企業主体でないその一機関に過ぎない取締役個人に無過失損害賠償責任を容認する不合理を肯定しなければならなくなること前述のとおりである。かかる法律制度全般に亘る大きな問題が存するのに、多数意見は何ら十分な説明をも示さず前記第二小法廷の判決を変更する結果となるのである。

五、次に私の意見に対する最大の非難は、現行商法二六六条ノ三を特別不法行為責任を規定したものとすると、同法は民法七〇九条に対する特別法となり、取締役が重大な過失によらず、単純な過失によつて第三者に損害を与えたときには、取締役に損害賠償の責任を負わしめ得ないこととなる点であろう。この点については、松本裁判官の反対意見で述べられているところと同じ理由により右非難はあたらないものと信ずるのであるが、先ず第一に、民法四四条は、法人の不法行為能力を認めた規定と解されている。法人実在説を前提とした議論である。そうすると、法人の理事がその職務を行うにつき故意または過失により他人に損害を加えたときは、それは法人の不法行為として法人が損害賠償の責に任ずる旨規定したのが民法四四条である。その場合法人の機関として行為をした理事個人の責任如何。法人実在説をとる以上、機関の行為は、法人の組織のうちに吸収され、法人の行為となつてしまつて、個人の行為たる意義を失い、機関個人の責任はないと解する考え方もあり得る。昭和七年(オ)第一三六号同年五月二七日言渡大審院判決(大審院判例集一一巻一一号一〇六九頁)は、法人の理事がその職務を行うにつき他人に加えた損害は、法人の不法行為として法人がその損害を賠償する責に任ずるが、右理事も個人として他人に対し同様不法行為の責任を負う旨判示しているが、この法理は必ずしも維持されなければならないものではない。少なくとも再考の余地あるものである。現に国家償賠法一条一項は、「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる」と規定し、その二項において、「前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する」と規定している。すなわち国家賠償法一条にいう公権力の行使に当る公務員中には、法人の理事または株式会社の取締役にも比すべき国又は公共団体の機関たる公務員と、法人の被用者にも比すべき公務員とを含むけれども、同法は、これら公務員がその職務を行うについて故意過失により他人に与えた損害については国又は公共団体が、その公務員の選任監督について相当の注意をしたか否かを問わず、その損害については、国又は公共団体に無条件に賠償責任を負わしめ、ただその公務員に故意又は重大な過失があつたときには、国又は公共団体はその公務員にその負担した損害額を求償することができることとしている。すなわち現実にその行為をした公務員は、故意、重過失があつても、損害を受けた被害者に対しては直接不法行為の責任は負うことはなく、被害者もこれをその公務員に請求できないのである。そしてこのことは当裁判所第三小法廷が既に判例として示しているところである(昭和二八年(オ)第六二五号同三〇年四月一九日言渡判決。民集九巻五号五三四頁参照。その要旨は「公権力の行使に当る公務員の職務行為に基く損害については、国または公共団体が賠償の責に任じ、職務の執行に当つた公務員は、行政機関としての地位においても、個人としても、被害者に対しその責任を負担するものではない。」)。してみればこの第三小法廷の判決は前記昭和七年五月二七日の大審院判決とはその考え方を全く異にするものであり学者の中には立法論としては、民法上の法人その他の使用者についても企業主体たる法人または使用者については無条件に責任を負わしめ、民法七一五条一項但書の如き免責事由を認める要はなく、現実に行為をした企業主体の機関または被用者には被害者に対して直接損害賠償の責任を負わしめず、ただ行為者に故意または重大な過失があつたときにだけ、企業主体たる法人または使用者をして行為者に対し求償権を認むべきである。即ち国家賠償法と同一歩調を採るをもつて可とすると説く者もある。したがつて取締役に不法行為の責任要件を軽減するのは不当だとする非難はあたらない。

六、最後に本件について見るに、原審の確定したところによると、訴外纐纈佐喜太郎は、訴外菊水工業株式会社の資産状態が相当悪化しており約束手形を振り出しても満期に支払うことができないことを容易に予見し得たにかかわらず、代表取締役としての注意義務を著しく怠つたため、その支払の可能なことを軽信し、代金支払の方法として昭和二七年三月四日、右訴外会社代表取締役社長上告人名義の本件七二万円の約束手形を振り出した上、被上告人をして本件鋼材一六トンを引き渡させ、右約束手形が支払不能となつた結果、被上告人に右金額に相当する損害を被らせた。一方上告人は、右訴外会社の業績が不振となつたので昭和二七年一月末頃右訴外会社の業績向上のため、上告人の地位信用を利用しようと企図していた知人吉村博から、上告人には責任をもたせないから名前だけ貸してくれればよいといつて右会社の代表取締役社長に就任方を懇請されたので、やむなく就任に応じたものであり(就任登記は同年二月一二日附)、就任のはじめ上告人は訴外会社の実権者である右訴外纐纈に会社の現況の説明をきき、自分は多忙であるから週二、三回程度しか出社できないとことわつて、社長印および自己の氏名のゴム印を右纐纈に預け、右訴外会社社長たる自己において、手形、小切手を振り出す権限を同人に委ね、業務一切を纐纈に任せきりにしていたので、その間に纐纈が上告人の了解を受けることなく上告人の印章等を使用し、被上告人との間に本件取引をし前記約束手形を振り出したものであり、買入にかかる鋼材は纐纈において他に転売し、その代金はことごとく訴外会社の旧債の支払に充てたが、纐纈が被上告人と右取引をし右約束手形を振り出したことについて、上告人は全くこれに関与しておらず、上告人は本件取引および鋼材の処分についてもこれを指揮命令したこともなければ、現実にこれに関与したこともなく、被上告人に対し、上告人は右纐纈と共同不法行為の責に任ずべきものではないというのである。してみれば仮りに多数意見がいうように、上告人は訴外会社の代表取締役社長として会社に対する受任者としての義務(商法二五四条三項、民法六四四条)および会社に対する忠実義務(商法二五四条ノ二)を有するから、訴外会社の他の代表取締役の職務執行上の重過失または不正行為を未然に防止すべき義務があるのに、上告人はこの義務を怠り、訴外会社の業務一切を他の代表取締役纐纈に委せきりとし、自己の不知の間に同人をして支払不能になるような本件約束手形を振り出して本件取引をさせたことは、上告人の訴外会社の代表取締役としての任務の遂行について重大な過失があることとなるとしても、右重大な過失は、上告人の訴外会社に対する任務懈怠について存するだけであつて直に第三者たる被上告人に生じた損害の発生について上告人に悪意または重大な過失があつたとすることはできない。

したがつて、被上告人の上告人に対する本訴請求を容認した原判決は、私見に従えば、商法二六六条ノ三の解釈適用を誤つた違法があるもので破棄を免れない。そしてなお上告人に被上告人に対する関係においてもその損害の発生について悪意または重大な過失があつたか否かを審理させるため、本件を原裁判所に差し戻すべきものと思料する。

裁判官松本正雄の上告理由一および三についての反対意見は、次のとおりである。

一、先ず、多数意見は、原判決と同じ見地に立つて、「取締役の任務懈怠により損害を受けた第三者としては、その任務懈怠につき取締役の悪意又は重大な過失を主張し立証しさえすれば、自己に対する加害につき故意または過失のあることを主張し立証するまでもなく、商法二六六条ノ三の規定により、取締役に対して損害の賠償を求めることができる」となし、更に、「会社自体が民法四四条の規定によつて第三者に対し損害の賠償義務を負う場合に限る必要もないわけである」と判示するが、私は、右の見解に反対である。

商法二六六条ノ三第一項前段の「取締役ガ其ノ職務ヲ行フニ付悪意又ハ重大ナル過失アリタルトキハ其ノ取締役ハ第三者ニ対シテモ亦連帯シテ損害賠償ノ責ニ任ズ」との規定は、明快さを欠き、解釈上説が分れるところではあるが、その法意は、取締役がその職務執行について故意または過失により第三者に損害を与えた場合には、会社がその損害を賠償する義務を負うことは当然であるが(民法四四条一項)、当該取締役としては、その職務を行なうにつき、第三者に対する加害の点に悪意または重大な過失があつたときにかぎり、第三者に対して損害賠償の責任を負担することを定めるにあるものと解するのが自然であり、条理にも適うものと考える。したがつて、右規定は、民法七〇九条が一般の不法行為について規定したのに対して、その特別規定として、特殊の不法行為責任を定めたものであり、右民法七〇九条とは競合しないものなのである。

おもうに、前叙の如く、取締役が会社の機関として行為した場合には、本来、会社自体がその行為による責任を負うべきものであるが、右商法二六六条ノ三の規定は、特にその取締役個人にも責任を負担せしめる場合があることを明らかにすると同時に、右責任は、取締役がその職務を行なうについて負うべきものであるところから、特に悪意または重過失があつたときにかぎり責任があるものとし、軽過失の場合を除外した点に意義を有するのである。けだし、取締役に対し、その軽過失の場合においても職務行為について個人的責任を負わせることにすると、近時の複雑な企業経営においては、安んじて経営の任に当れないおそれがあるばかりでなく、酷に過ぎるといわざるをえないからである。以上のことは、国家賠償法一条によれば、公権力の行使に当る公務員にその職務を行なうにつき違法行為があつた場合には、国または公共団体が損害賠償の責任を負うのであり(同条一項)、当該公務員個人としては、故意または重大な過失があつたときにのみ、国または公共団体から求償権を行使されるにとどまる(同条二項)ものとされているのと対比しても首肯できるところである。

また、右のように解釈すべきことは、商法が、その二六六条一項において、取締役に違法な行為、例えば、いわゆる蛸配当をしたというような法令(商法二九〇条)違反の行為または定款違反の行為があつて、その職務の遂行に当り任務を懈怠したと認められるときには、当該取締役が会社に対して損害賠償の責任を負うべきものとするとともに、二六六条ノ三において、取締役が、第三者との間の営業取引上の行為その他の職務執行行為から第三者に損害を生ぜしめたときには、これを賠償すべき責任を定めた条文の配置からも窺えるところである。

多数意見は、「取締役の責任の客観的要件については、会社に対する義務違反があれば足りるものとしてこれを拡張し、主観的要件については重過失を要するものとするに至つた立法の沿革に徴して明らかである」と判示するが、取締役の任務懈怠行為のうちで最も主要な「法令又ハ定款ニ違反スル行為ヲ為シタルトキ」(商法二六六条一項五号)について、旧規定(昭和二五年法律第一六七号による改正前の商法二六六条二項)は、これを取締役の第三者に対する責任の要件として定めていたが、右改正法が、これを会社に対する責任の要件として定めるにいたつたことからみると、右多数意見のように、「立法の沿革に徴して明らかである」とは断じきれないのではなかろうか。

また、多数意見は、「発起人の責任に関する商法一九三条および合名会社の清算人の責任に関する同法一三四条ノ二の諸規定と対比しても十分首肯することができる」旨説示しているが、設立中の会社は特別な存在であつて、発起人は未だ営業活動をしていないのであり、合名会社に至つては、各社員は、会社と連帯して会社の債務を弁済する責任を負担(商法八〇条一項)しているのであるから(商法一二一条によれば、原則として業務執行社員が清算人に就任する。)、右発起人ないし清算人の第三者に対する責任と株式会社の取締役の責任とを比較することは余り意味がない。右両規定が法文の形の上で商法二六六条ノ三と類似する点を捉えて多数意見がここに援用するのは、形式論にすぎない。

二、次に、原判決は、「自己のほかにも会社に代表取締役がおかれている場合においてはその代表取締役の職務執行をも監視警戒し、その過失又は不正行為を未然に防止すべき義務があるものといわなければならない。」とし、更に、「右監視義務は、代表取締役が会社のため忠実にその業務全般を統轄遂行し会社の利益を図る義務を有することから流出するもの」であるとし、本件について「控訴人(上告人)は代表取締役として他の代表取締役の業務執行を監視しその過失又は不正行為を未然に防止すべき義務を著しく怠つていたものと解するを相当とする」と判示している。そして、上告人が右監視義務を果す上において、「取締役としてその職務を行なうにつき重大な過失」があつたとして、上告人に、被上告人に対する損害賠償義務を認めた。

しかし、私は、代表取締役には他の代表取締役の職務執行を監視警戒する義務はないと考える。

1  代表取締役にも取締役として善良な管理者としての注意義務(商法二五四条三項、民法六四四条)と忠実義務(商法二五四条ノ二)が存在することは明らかであるが、他の代表取締役を監視する義務については商法上何等の規定がないばかりでなく、代表取締役は取締役会の決議によつて選任せられ(商法二六一条一項)、また、現行法上は会社の業務執行は取締役会が決する(商法二六〇条)のであつて、代表取締役は取締役会の決するところに従つて、各自または共同して会社を代表し、会社の業務を執行するのであるから、相互に監視する関係にはない。

2  代表取締役は対外的に会社を代表する機関ではあるけれども、対内的に業務全般の執行を担当するとは限らない。もちろん、多くの会社においては社長は代表取締役であり、会社の業務全般の執行を担当しているけれども、対内的に業務全般の執行を担当するとは限らない。もちろん、多くの会社においては社長は代表取締役であり、会社の業務全般の執行を担当しているけれども、大会社においては、社長のほかにも、会長、副社長、専務取締役、常務取締役等が代表取締役に就任している場合があり、支店長が代表取締役である場合すらあつて、それぞれ業務を分担していることが多く見受けられるのである。例えば、数名の常務取締役が、いずれも代表取締役である場合には、各自が総務、営業、労務、技術、経理等の業務を分担して執行し、支店長が代表取締役である場合には、その支店長は支店の管轄内の業務の執行に当つているのが実情であつて、決して代表取締役各自が会社業務全般の執行に当つているわけではない。もちろん取締役会の構成員としては、代表資格がない平取締役と同様に会社業務の全般を担当するものといえるであろうが、取締役会は月にせいぜい一、二回開かれるのが通常であり、毎日開かれるわけではないから、会社の実際の業務の執行、事業運営の面では右に述べたとおりの執行体制が採用されている。

このように現在、日本には代表取締役を数名以上定めている大会社は多数あつて、しかも各代表取締役の担当業務がちがつている場合には、代表取締役相互間の職務執行の監視義務など実際上考えられない。更に極端な実例をとれば、本店の所在地が東京にある会社の大阪支店長が代表取締役である場合や、ロンドンやニューヨークの支店長が代表取締役である場合に、大阪支店長、ロンドン、ニューヨーク駐在の代表取締役が東京の代表取締役の業務執行を監視警戒するなどはできないことである。

三、原判決は、代表取締役の業務執行についての権限、その法的性格と、会社の会長、社長、副社長、専務取締役、常務取締役等の職制上の地位にあるものについて定款または取締役会の決議によつて定められた業務執行の権限とを混同して、後者において社長の地位にある者の如きを想定しているのではあるまいか。原判決を支持する多数意見も、亦、同様な誤りを侵している。すなわち、多数意見は、代表取締役は、「対外的に会社を代表し、対内的に業務全般の執行を担当する職務権限を有する機関であるから」他の代表取締役の「不正行為ないし任務懈怠を看過するに至るようなことは、自らも亦悪意または重大な過失により任務を怠つたものと解するのが相当である」と判示するが、代表取締役は前叙の如く、必ずしも常に対内的に業務全般の執行を担当する職務権限を有する機関」であるとは限らないから、このように解することによつて代表取締役の他の代表取締役に対する監視警戒の義務を認めることは、商法上理由がないばかりでなく、実務上も当らないものといわなければならない。なお、多数意見は、「任務懈怠を看過する」義務違反と述べ、ことさら原判決が重点を置いて説示する監視義務違反の表現を避けているようであるが、結局は同一の趣旨と解せられる。

四、ところで本件についてみると、訴外菊水工業株式会社(以下「菊水工業」という)は、昭和二六年に設立せれた会社であつて、訴外纐纈佐喜太郎が代表取締役として経営に当つていたが、業績が不振となつたので、訴外吉村博が、昭和二七年一月末頃菊水工業の業績向上のため上告人の地位信用を利用することを企図して、上告人に代表取締役に就任することを懇請し、上告人をして承諾せしめ、同年二月一二日附で上告人が代表取締役社長に、前記纐纈は代表取締役専務取締役になつたこと、そして上告人は、菊水工業が同年三月一二日頃(本件手形振出の一週間位後)訴外大商毛織に対して振り出した約束手形を不渡りとし、更にその直後訴外渡辺某に対して振り出した約束手形をも不渡りとしたなどの、纐纈の不始末をいたく立腹して、同年三月一六日頃には、すでに、代表取締役の辞任届を提出し、その辞任は同年五月一〇日附で登記されたことが原審で認定されている。そうすると、上告人の代表取締役としての就任期間は、事実上は上告人が主張する如く、わずか一ケ月半に過ぎず、登記簿上約三ケ月である。また、原審の認定によれば、この間、上告人は二、三回位菊水工業に立ち寄つたが、業務一切を纐纈に任せきりにしており、社長印および自己の氏名のゴム印を纐纈に預け、菊水工業社長たる自己の名において手形、小切手を振り出す権限をも同人に委ねており、纐纈は上告人の了解を得ることなく、本件約束手形を振り出した上、被上告人をして本件鋼材を引き渡さしめたもので、上告人は本件取引については何等関与しなかつたというのであるが、原審は、纐纈において、右手形振出当時、その手形金を支払えないことを容易に予見することができたものであり、また上告人には、纐纈の右業務執行を監視する義務があるのに、著しくこれを怠つたものとして、上告人に対し本件損害賠償義務を認めたのである。

しかし、私は、右の原判決およびこれを支持する多数意見には賛成できない。ある者が社会的に有している地位および信用などを利用する目的で、その者を会社の取締役として迎えることは、資金を提供した者を取締役に加えたりすることと同様に通例行なわれているところであり、代表取締役が一、二カ月のうちに、わずか二、三回位しか会社に出勤しないとか、会社の代表取締役としてのゴム印を他の者に預けておくという如きことも世上よくある例であり、それだけで代表取締役としての任務懈怠とはいえない。

また、仮に、上告人において原審認定の如く会社に対する任務懈怠があり、これによつて纐纈の業務執行を監視することができなかつたからといつて、それだけで直に商法二六六条ノ三の規定を適用して上告人に責任を負担せしめるべきものでもない。すなわち、代表取締役には他の代表取締役を監視警戒する義務がないことはさきに述べたとおりであるから、上告人としては纐纈の本件取引を監視警戒する法律上の義務を負担するものではない。原判決および多数意見の考え方によれば、本件の上告人の如きは、代表取締役に在任中に、纐纈がなしたあらゆる対外的取引行為、手形振出行為等によつて第三者に損害を及ぼしたときには、責任を負わされる結果になるであろう。その不当なことは多言を要しないところである。

本件について、上告人が商法二六六条ノ三の規定によつて責任を負うのは、上告人が、菊水工業の社長たる自己の名において、纐纈をして会社の手形を振り出さしめることにより、菊水工業の取引先である被上告人らに損害を与えることについて悪意または重大な過失が上告人にあつた場合においてのみである。かような悪意または重過失が被上告人に対してあつたとすれば、被上告人に対して上告人は会社あるいは纐纈と連帯して損害賠償の責に任じなければならない場合があり得ることは、さきに説示したとおりである。

したがつて原判決は、商法二六六条ノ三の解釈を誤り、前記の点については何等考慮することなく、上告人に損害賠償の義務があるとしたのであるから、審理不尽の違法があり、右の違法は原判決の結論に影響があることは明らかであるというべく、上告理由一および三はいずれも理由があるから、原判決は破棄を免れず、本件においては叙上の見地に立つて更に審理を尽くさせる必要があるので、民事訴訟法四〇七条一項にしたがいこれを原審に差し戻すのが相当である。

(石田和外 入江俊郎 草鹿浅之介 長部謹吾 城戸芳彦 田中二郎 松田二郎 岩田誠 下村三郎 色川幸太郎 大隅健一郎 松本正雄 飯村義美 村上朝一 関根小郷)

上告代理人岡本治太郎の上告理由

一、原審は第一審と同様、被上告人の

(1) 上告人と訴外纐纈佐喜太郎との詐欺による共同不法行為を原因とする請求(原判決の理由の二)並びに

(2) 上告人の右纐纈佐喜太郎に対し民法第七一五条第二項の監督者責任を原因とする予備的請求(同理由の三)

を正当にも排斥しながら

(3) 上告人が訴外菊水工業株式会社の代表取締役として商法第二六六条の三の規定に基き損害賠償義務ありとする被上告人の第二次の予備的請求を認容し、上告人の主張を排斥した(同理由の四)

しかし、原審のこの判断は商法第二六六条の三の解釈を誤り、責任のない上告人に損害賠償義務を果したもので、この違背は判決に影響を及ぼすことが明かであるから破棄せらるべきである。

二、原審が認定した事実(同理由の四)を動かしがたいものとしても上告人は昭和二七年一月末頃に訴外菊水工業の代表取締役就任の交渉をうけて承諾し、同年二月一二日付でその就任登記がなされたが、右纐纈佐喜太郎の会社業務の執行に不信行為があつたので同年三月一六日代表取締役、取締役の辞任届を提出し以後、菊水工業と一切の関係を絶つた。ただし、その辞任登記は同年五月一〇日付でなされた。

即ち、上告人が事実上、菊水工業の代表取締役の地位にあつたのは僅か一ケ月半に過ぎない。

その間、右纐纈佐喜太郎が同年三月四日に支払期日を同年五月二日とする約束手形(甲第二号証)を振出したものである。

三、原判決も指摘するように取締役はその職務の執行について会社に対して善管注意義務と忠実義務を有し、会社の利益を図るべきであることは異論のないところである。本件の場合、右纐纈が原判決認定のとおり本件手形の振出行為について同人の代表取締役としての業務の執行に注意義務を著しく怠つた点があり、そのため不渡りとして被上告人に損害を蒙らしめたものとしても、直ちにこれを上告人に対する業務執行上の注意違背として、その責任を問うことは飛躍に過ぎるものと考える。

原審は上告人が「菊水工業の業務一切を纐纈に任せきりとし、その結果、自己の不知の間に右訴外人をして本件取引をなすにいたらしめたものであつて、これに控訴人(上告人)が、その就任当初から菊水工業の経営状態が不振であることを充分了承していたこと、訴外纐纈が特段に信用し得べき人物であつたことを認めるに足る証拠も存しないこと等を考え合せれば控訴人は代表取締役として他の代表取締役の業務執行を監視し、その過失又は不正行為を未然に防止すべき義務を著しく怠つていたものと解する」として上告人の本件賠償義務を認めているのであるが、共同代表の定めのない菊水工業において単独執行権をもつ代表取締役である右纐纈に対して社長印や自己の氏名のゴム印を預けておくことは会社業務の通例であつて何等異とするに足りないし、右認定のような事例をもつて「一切を任せきりとし」右纐纈の為すがままに委したとするなれば、なに故、三月一二日、大商毛織や渡辺某に対する手形の不渡りに立腹して三月一六日に辞任届を提出するような態度に出たかを理解することはできないであろう。

上告人が、かかる態度にでたのは会社経営に熱意をもち、右纐纈を信頼していたにかかわらず、これを裏切られたために外ならない。

しかもその際、上告人は右纐纈に対して他に手形の振出等の有無を追求したのであるが、同人は本件手形の振出行為も含めてこれを否定していたのである。

かかる注意義務をつくしている本件にあつて尚、これを監視注義の著しい懈怠とすることは、右規定の解釈を誤つたものといわなければならない。

四、次に前記の通り上告人の辞任の登記は昭和二七年五月二〇日付であつて本件手形の支払期日の後であるが辞任届は同年三月一六日であり、その後菊水工業と一切の関係を絶つた。

即ち上告人は同日以降は同会社の代表取締役としての業務は一切執行していないのであるから会社に対して原判決の指摘するような義務を負うものではなく、かつ代表取締役としての職務を執行するに由ないものである。

原審が同年三月一六日辞任届出の事実を認めながら上告人に対してなお本件責任を認めたことは商法第二六六条の三の規定を誤解したものというべきである。    以上

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